お片づけブログメディア”cataso(カタソ)”に収納マンの新しい記事が公開されましたのでお知らせします。
⇒ ”「捨ててほしい」は禁句!?不要品をもらってきてしまう家族への対処方法2つ”
実は昨日公開されていたにもかかわらず、確定申告のことで頭がいっぱいで失念しておりました。
ともあれ、今回の記事にあるケースのような、不要品を溜め込む人…「ホーダー(hoarder)」と呼びますが、どうしてホーダーはモノを溜め込んだり頑なに捨てようとしないのでしょう?今回はそれについて私の考えを書いてみたいと思います。
「捨てることは悪」だと考えている
まず最初にお断りしておかなければなりません。私はホーダーがモノを溜め込んだり頑なに捨てようとしないことを決して否定的には考えていません。ゴミ屋敷の住人が自治体の説得に応じず強制的に撤去されるというケースがありますが、そのこと自体の是非はともかくとして、それなりにホーダーの気持ちは理解しているつもりです。
それを踏まえたうえで話を進めさせていただくと、まずホーダーは「捨てることは悪」だと考えていることが多いように思います。
これは一面では正しい考え方です。まだ使えるモノを捨てることは、少なくとも良いことではないと思います。そしてホーダーの場合は、捨てることをハッキリと「悪」だと認識していることが多いのです。
そんなホーダーに対して「捨ててちょうだい」と言うことは、窃盗や殺人をそそのかすようなものです。「捨ててちょうだい」と言う人のことを悪人だと考え、頑なに拒否してしまうのはむしろ当然のことと言えるでしょう。
「取っておいて良かった」という成功体験
ホーダーとまでは行かなくとも、「(モノを)取っておいて良かった」という成功体験が強い人は多いように思います。逆に、捨ててしまってから「取っておけば良かった!」と後悔の念を抱く人もまた多いでしょう。捨ててしまえば新たに買ってくるなどしてまた入手する必要がありますが、手元に残しておけば活用できる余地があります。
ホーダーはその意味でモノを取っておく名人です。一方で、「取っておいて良かった」という成功体験が人一倍強いだけと言うこともできます。
モノに可能性を感じるクリエイティブ性
ホーダーの本来の意味は「モノを溜め込む人」ということですが、転じて「ゴミ屋敷の住人」と解釈される場合があります。しかし本人に言わせればむしろ「宝の山の住人」なのです。
ホーダーはモノを見ると、「〇〇さんにあげたら喜ぶに違いない」とか「これは△△に使えるかもしれない」などと考えます。目の前のモノが単なるモノなのでなく、あらゆる可能性や創造性を感じさせるモノなのです。ホーダーはかなりクリエイティブな性質を持っていると考えられます。
とは言え、前述した2番目と3番目は人によりけりの感があります。すべてのホーダーに共通しているのは「捨てることは悪」だと考えていることです。
これは対象がモノだから厄介に見えるのであって、もしお金だったらどうでしょう?資本主義の世界において、お金を捨てるべきかどうかということは議論にすらなりません。また「貯金しておいて良かった」と思う人は当然いますし、手元にあるお金をどう使おうかと夢を広がせることは自然なことだと思います。
一方で現代において、お金儲けが良くないことのように言われることもありますよね。
ある先人がこう言いました。「お金の儲け方にキレイキタナイはないけれど、お金の使い方にはキレイキタナイがある」と。私もそう思います。結局のところお金もモノも溜め込むのが悪いのではなくて、そのあとどう消費するかが問題なのだと思います。
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