「散らかっている」のは「無能」どころか、「天才」の可能性あり

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ライフハッカーに興味深い記事がありましたのでシェアさせていただきたいと思います。

”天才の机は散らかっていた! 混沌とした環境でこそ創造性は発揮される”(ライフハッカー)

 

フェイスブックの創設者・CEOのマーク・ザッカーバーグの机の上出典:tiphereth

記事では、フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグ、PayPal共同創業者のマックス・レヴチンらの机の上がいかに散らかっているかが紹介されています。つまり、「成功者の机の上は片づいている」ということを全否定とまではいかないものの、少なくとも例外はあるということを示していると思います。

 

「片づけられない」と「片づけない」は根本的に違う

記事で紹介されている人たちが「片づけられない人」かどうかと言うと、これは私の推測にすぎませんが、たぶん片づけられないのではなく、片づけないだけだと思います。まあ、あまり片づけは好きではないんだとは思いますけどね。少なからず苦手意識もあるとは思います。

ただ、記事にも書かれているように、第三者が見ると散らかっているだけのように見えても、本人にはそれなりのルールがあり、決して非合理的なわけではないのです。これは私の今までの経験とも合致します。

その混沌さの中においても一定の秩序が存在していたようです。つまり、積み重なる書類や雑誌の山、さまざまな物が置かれながらも、ある種のルールがあり、その使用者のみが体感できる使い勝手の良さがあったのです。

私は収納とは、ルールを作り、それを守ることという一面を持っていると思っています。これはここに置く、使ったら元の場所に戻す、といった感じですね。また、ルールを作るにあたっては、そのルールを作る意図も必要です。なぜここに置いたほうが良いのか、なぜ元に戻す必要があるのか、その意味が明確でなければいけません。無意味なルールは守っても意味がないし、誰も従うことなく、形骸化するだけだからです。

このように私が考えるのは、私自身が法学部の出身だからということが影響しているのかもしれません。法律なんて厄介なだけ、国が勝手に作ったものなどという風に考える方もいらっしゃるでしょうし、収納と法律なんて何の関係もないことと思われる方もいることでしょう。しかし法律の考え方は意外と収納にも役に立つように思うのです。

たとえば刑法。人が罪を問われる場合はそれが故意によるものなのか過失なのかによって大きく結果(量刑)が変わります。人を殺そうと思って殺した場合は殺人罪ですが、誤って殺してしまった場合は過失致死罪となります。殺人罪の場合は被告は死刑又は無期若しくは5年以上の懲役となりますが、過失致死罪の場合は50万円以下の罰金となります。故意の有無で量刑がまったく違うのです。

同じようなことが片づけでも言えると思います。「片づけない」(=故意)というのはある意味すごくタチが悪いのですが(苦笑)、他人に危害が及ばなければまったく問題ありませんし、そのほうが本人にとって良い場合があります。また、これは「片づけられない」(=過失)というのとは根本的に違うのです。「片づけられない」のであれば他の誰かが片づけを手伝ってあげても良いわけですが、「片づけない」人の机の上を勝手に片づけようものなら、その人のルールを乱すことになり、余計なお節介になってしまうのです。



ルールに従うことを良しとするか、ルールを打ち破ることを良しとするかの違い

法律と対比して収納について考えると、こんなことも言えます。私は基本的にルールは守るのが当然だと思っています。それは国民が自分たちで選んだ代表が話し合って決めたルールだから、それを国民全員が守ることで社会活動がスムーズになると考えるからです。

しかし必ずしも、国民全員がそう思うわけではありません。悪いルールは変えなければいけないと考える人たちもいます。ルールを守るのが当然と考える人にとっては厄介な存在なのですが、ルールが何のためにあるのかということを考えれば、時間の流れとともに変わる状況に合わせてルールを変えることはとても大切だと言うこともできます。検索サイト大手のグーグルなどはまさにその考え方で、彼らは著作権に関するルールを大きく塗り替えた代表的な例と言うことができるでしょう。

つまるところ、ルールを守ることも、ルールを打ち破ることも、良いことなのです。ルールが実態に追いつくか、実態がルールに追いつくかという違いがあるだけで、それが社会にとって良いことであれば、それは良いことなのです。

 

片づけることを目的化してはいけない

言うまでもなく、片づけることは手段であり、それ自体は目的ではありません。しかし、ルールを守ることを是としていると、時に保守的になってしまいがちです。整った状態を維持しようとするあまり、本質的な部分を忘れて見た目ばかりに気を取られてしまうこともあるでしょう。

その点、「片づけない」人はルールの背景にあるものをよく理解しています。決して片づけることが目的化してしまうことはありません。片づけることは手段のひとつに過ぎないことを理解しており、それより大事なことを優先しているだけなのです。

これを「天才」と言えばその通りかもしれませんが、ある意味では人並み以上に当たり前のことをやっているに過ぎないと言うこともできるかと思います。前述の通り、彼らは手段と目的をはき違えることはありませんし、何を優先すべきかを理解しているからです。

 

収納は見た目で判断してはいけない

「片づけない」人たちをよく観察していると、彼らがいかに収納の本質をよく理解しているかが分かります。扉付きの収納家具は見た目が良いけれども、出し入れのしやすさで言えば扉なしの収納家具のほうが合理的だということを知っています。また、小まめに整頓すれば見た目は良いけれども、そこにエネルギーを費やすよりもそのエネルギーを他のことに費やしたほうが生産性が上がることも知っています。彼らは極めて合理的に行動しているのです。

だから「片づけない」人を責めてはいけません。たぶん、こういうタイプの人は会社の中に一人や二人はいるはずです。彼らは、世の中が片づけたほうが良いに決まっていると思い込んでいるから、どうせ何を言っても無駄だと思って何も言わないだけであって、実は彼らのほうが正しい行いをしている可能性があるのです。

「片づけない」人はなかなか魅力的ですよ。私はいつもそう思って感心しています。

この記事を書いた人

日本で初めて一般家庭向け収納&インテリア・コーディネートサービスを始めて20年の収納&インテリアのプロ。TVチャンピオン収納ダメ主婦しつけ王優勝。
安全性を第一に、コスパを重視した収納グッズ&家具選びを心掛けています。詳しいプロフィールはこちら

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