本日、ダイヤモンドオンラインで興味深いタイトルの記事を見つけました。ダイヤモンドオンラインらしくちょっと釣りっぽいタイトルではありますが、中身は思わず膝を打つ内容です。

家族の片づけコンサルタントのseaさんとおっしゃる方の口述を基にライターさんが書いた記事のようですが、下手な私の文章などとは比べ物にならないくらい、説明が非常に分かりやすいです。特に私が惹き込まれたのは1ページ目の以下の下り。
そして、夫婦で「どの程度片づいていれば快適か」という感覚に差があるとき、多くの方がやってしまいがちなミスがあります。それは、片づけをめぐって「どちらが正しいか」という判断基準を持ち込むことです。「片づいた状態が正しい」という考え方には有無を言わせない強さがあり、できない人の言い分を握りつぶしてしまいます。これがコミュニケーション不全のもとになります。片づいた状態のほうが良いのはわかっていても、それをキープするルールや習慣を重荷に感じる人がいる限り、家族の片づけはうまくいきません。
それ以降の文章も是非読んでいただきたいところですが、ここではこの一節に関連して私なりに書いてみたいと思います。
片づけは家族が快適に暮らすためのもの
多くの方が「片づいていないよりは片づいていたほうが良い」と勘違いしてしまいがちです。確かに、自分一人で完結することならその通りかもしれません。しかし、家族であれそれを他人に求めるというのは横暴です。
私は「片づけは家族が快適に暮らすためのもの」だと考えています。ですから、片づけが原因で家族が不快に思うことがあってはなりません。「片づいていないよりは片づいていたほうが良い」と勘違いしてしまうと、片づけが原因で家族に不和が生まれる可能性があるのです。
片づけにはデメリットがある
なぜ「片づいていないよりは片づいていたほうが良い」と言うのは勘違いなのか。それは片づけることにはメリットだけでなくデメリットもあるからです。
- 片づけるには多少なりとも時間が掛かる
- 別のことをする時間を奪われてしまう
- モノを動かすと何がどこにあったか忘れてしまう場合がある
- 苦手な片づけを無理にするとストレスを感じる
あくまで一例ですが、これらデメリットというのは、およそ片づけたくない人の言い訳にしか聞こえないかもしれません。しかし、そう言う人に対してこれらのデメリットをキッパリと否定することができないのもまた事実だと思います。
「片づけなさい」と言うのは一種のパワハラ
最近、マスコミでは「パワハラ」という言葉をよく聞きます。私は正直、「そうかなー?」と首を傾げることもあるのですが、それはともかく、片づける気がない人に対して「片づけなさい」と言うのは一種のパワハラではないかと思います。
理想論に過ぎない部分は否めませんけど、パワハラを回避するには上の立場の者が下の立場の者の声を十分に聞き取り、受け手が納得するかたちで上手に誘導してあげることが必要だと思います。立場を利用して無理強いすれば、たちまちパワハラと見なされてしまいます。
片づけも同じだと思うんです。自分が思うように家族が動いてくれないから「片づけなさい」と言ったところで、持続性は期待できません。それならば、家族に歩み寄ってお互いが納得できる着地点を見出すよりほかありません。
とは言え、理屈では分かってもこれを実際に実行するというのはなかなか難しいことです。なぜなら、「既に歩み寄っている」という認識があり、これ以上は勘弁ならないと考えていることが多いからです。
片づけのことだけでなく、それ以外の積年の恨みとも言うべきことまで障害になる可能性があります。実際、私がこれまでにお伺いしてきたクライアント宅ではそういう話も少なくありませんでした。正直、私自身にも思い当たるところがあります(苦笑)
それでも、本当に片づけたいと思ったら前に進む方法を考えるよりほかありません。人のせいにして前に進むことを拒んでいる人は、たいてい同じような過失を抱えているものです。そういう意味では、夫婦喧嘩と片づけは一定の因果関係があると言えるかもしれません。
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