先日、某大学の教授とお話しさせていただく機会がありまして、その中で私が法学部卒であることに話が及びました。「法学部を出てなぜ収納アドバイザーに?」という話に始まり、法学がいかに収納を理解するうえで役立つかを説明したところ、教授はいたく感心されました。
後日、改めて私の著書やブログの記事を見てみると、そういう話にはほとんど触れてこなかったことに気付いたんですね(苦笑)おそらく、法律の話などを持ち出すと難しく感じられてしまうと危惧して、自分の中で封印していたんだと思います。
そこで今回は、できるだけ理解しやすいところから、法学的な切り口で、片づけ・収納を分かりやすく説明したいと思います。
※この記事は2024年10月14日時点の情報に基づいています
収納はルールそのもの
私は「収納はルールそのもの」だと考えています。なぜなら、ルールとは、規則、法則、習慣、物差し、支配する(統治する)、判定する、などという意味だからです。
規則
どこのお宅でも、何をどこに収納するかということは、明文化されていなくても決まっていると思います。まさしく暗黙のルールです。会社の場合は書庫にラベリングしたり、倉庫内の配置図を掲示するなどしていることもあるでしょう。
逆に、何をどこに収納するかということを決めていないと、散らかったり、紛失することが増えます。大なり小なりルールがあるから、モノは所定の位置に戻っていくのです。
法則
多くの人は意識していなくても一定の法則に従って収納しています。たとえば鍋はキッチン、布団は押入れ、靴はシューズボックスという具合です。また、収納についてよく理解している人ほど、よく使うモノは手が届きやすい場所に、そうでないモノは手が届きにくい場所に、ということを意識して並べる順番を決めます。
このような法則がなければ、モノの収納場所を決めるのは大変です。必要なときに見つけ出すのも大変ですし、出し入れするたびに無駄な手間と時間を要します。
習慣
センスがないから収納が苦手とおしゃる方がいますが、それは明確に違うと断言できます。収納はやり方が分かっているかどうか、もっと言えば前述したことなども含めて考え方が理解できていることが重要です。
加えて、習慣というのも大切な要素と言えます。いくら収納の方法や考え方がマスターできていても、それを維持するのは日頃の習慣だからです。モノを出したら戻すという単純なことがとても大切なのです。
物差し
横浜の整理収納アドバイザー・長島ゆか氏が「片づけものさし」というブログを書かれています。ほかの人の片づけ方などを真似してもうまくいかないのは、それが「他人のものさし」だから。自分の家を片づけるには「自分のものさし」を持ちましょうとおっしゃっています。
家によって広さも間取りも異なります。家族構成も、年齢も、職業も、持ち物も、習慣も、価値観も違います。そこに他人の物差しを持ち込んでも、状況を正しく推し測ることはできません。
支配する(統治する)
片づいていないお宅を観察すると、住人がモノに支配されていることが伝わってきます。本来は住人が主で、モノが支配されるべきなのですが、主従関係が逆になってしまっているのです。
モノが多すぎて、すき間で寝床を確保していたり。電子レンジがダイニングにあるからと言って、キッチンとの間を何度も往復していたり。
そんなときはまず快適に就寝できる場所を確保して、余ったスペースにモノを配置するようにしましょう。また、料理に必要なモノは優先順位が高いモノから順にキッチンの中に置き、無駄な移動や時間が掛からないようにしましょう。自分や家族が主人公となってモノを支配するとはそういうことです。
判定する
片づけ・収納は「決める」ことが大事です。「決める」ことの連続と言っても過言ではありません。
要・不要を決める、その基準を決める、その手順を決める、何をどれくらい持つかを決める、何をどこに置くかを決める。そういうことの繰り返しです。
「判定する」とは「物事を判別して決定すること」ですから、決める前には何かしら根拠を以って判別しなければなりません。それこそが前述した「自分の物差し」です。
憲法があって法律がある
「自分の物差し」はどのようにすれば定まるでしょうか。2年間使っていないモノは処分する。ときめかないモノは手放す。食品のストックは引出し1杯に収める。そういう風に決めることも大切ですが、まずは「何のために片づけるのか」や「片づけることでどんな暮らしを実現したいか」といったことを考えてみてください。
家族会議を開いて皆で擦り合せできれば理想的です。しかし、それが難しいこともあるでしょうし、できる可能性があったとしても気恥ずかしいかもしれません。そんなときは、自分のできる範囲で、考えをまとめていただければ良いと思います。
どうしてこんなことを考える必要があるかと言うと、それが「自分の物差し」の軸になるからです。シッカリとした軸があれば、収納のルールを決めるのが容易です。また、個々の収納のルールはともすれば片づける目的や理想とするかたちに反することもありますが、軸がシッカリしていれば軌道修正しやすくなります。
こはまさしく憲法とそれ以外の法律の関係と同じです。原則として個々の法律は憲法に反してはいけません。逆に、憲法が定まっていれば法律を定めやすくなります。
抽象的な話ではピンと来ないと思いますので、我が家の例でお話ししましょう。我が家はすべて子供の成長を第一に考えています。もちろん、甘やかすという意味ではなく、親が将来に向けて何かしら誘導するつもりもありません。ただ、不自由なくやりたいことをやりたいようにやらせてあげたいと願っています。これがいわば我が家の憲法です。
これを軸にすべてが決まっています。間取りは子供部屋をLDKに面するかたちにすることで、親子の接触機会を増やしています。子供がLDKに自分のモノを放置するようなことはないですが、仮にそういうことがあっても子供部屋のドアを開けてそれを運び込めばストレスを感じることはありません。
子供部屋の掃除は私がします。妻は「自分でやらせても良いんじゃないの?」と言いますが、子供がやってくれなかったときに注意したり、結局、親がやる羽目になってもストレスを感じるだけです。
子供の教育のためには積極的に手伝いをさせるべきという「他人の物差し」もあろうかと思います。しかし、私はそうは考えていません。私自身も子供のときに自分の部屋を掃除した記憶はほとんどないですが、大人になってからは問題なくできているからです。むしろ、子供の頃は広すぎる自宅敷地内外の草刈りや側溝清掃、年末の大掃除などの手伝いがイヤで仕方ありませんでした。
ほか、洗濯物についても、子供にお手伝いをさせることはなく、妻がウォークインクローゼットに運び込むようにしています。掃除と同様に子供に任せるメリットはあまりないと考えています。
現状、まだ家が新しいので、モノの置き場所には困ることはなく、モノを捨てる基準に悩むことはありません。しかしながら、子供のモノはそれぞれの部屋で収まるようにすれば問題ないはずです。家族が共有するモノ、たとえば調理器具や食品、日用品などはたかが知れた量ですから、ライフスタイルが大幅に変わらない限りは影響はないと思います。
キリがないのでこのあたりにしますが、このように家族もしくは自分一人が向かうべき方向が定まっていれば、モノ・コトの判断は明確になります。マッサージチェアを購入するかどうか悩んだときも、受験勉強で肩を凝らすことが多かった娘のためという目的が背中を押すことになりました。逆に、私と妻が使うだけだったら買わなかったと思います。
守れるルールを作ることが大切
ここまで述べたように、収納はルールそのものです。しかし、シッカリした憲法と、それに合った法律を作っても、がんじがらめにしてはいけません。
よく、「夫が脱いだ服をあちこちに放置したり、使った食器をそのままにしている」という不満を聞きます。言い換えると、「脱いだ服は洗濯機もしくは脱衣カゴに、食器は洗って水切りカゴに入れるルールのはず」ということになろうかと思います。ルールという言葉にピンと来なければ、「そういう風に約束したはず」ということでしょう。
一方で、そのルールもしくは約束が守られていない現実があります。例えるなら、赤信号を無視したり、飲酒運転をしてしまったような状態です。交通法規に則れば、罰金や罰則が与えられる事案です。
翻って、洋服や食器を放置する旦那さんを罰することはできるでしょうか。約束をした時点で罰則を設けていなければ、法的には難しいと解釈できます。そもそも、家の中でルールを作る度に罰則を決めることは息苦しくなるだけだと思います。また、約束を守れない人は罰則を設けてもマトモに受け入れないでしょう。
理想を言えば、その旦那さんが洗濯をしたり食器を洗うことで、苦痛を味わう立場の気持ちを理解して、習慣を改めてくれれば良いと思います。しかし、そうならない場合は、罰則を設けるのではなく行動を改めることでメリットが生じるようにするか、守れるルールに改めるほかないと言えます。
ただ、現実的なことを考えるとメリットを与えるというのは難しく、ルールを変えるほうが容易です。「どうして洋服や食器を所定の場所に置いてくれないのか?」と考え、歩み寄れそうな着地点を見つけてルール化するのが良いと思います。話し合うのも馬鹿馬鹿しいと思ったら、自分でやることに決めてしまったほうがストレスがないですよね。それは配偶者であれ、子供であれ、親であれ、同じことです。
繰り返しになりますが、守られないルールはほとんど無意味です。家族が進むべき方向を念頭に置きつつ、守ってもらえるルールを模索するようにしましょう。
ちなみに戦後、日本国憲法は一度も改定されていませんが、解釈は時代とともに少しずつ変わっています。軍隊は持たないはずだったのに、自衛隊という組織は許容するという流れになったことが一例として挙げられます。
同様に、日本国憲法が制定された当時は家父長制が当然と考えられていましたが、現在は少なくとも法律の上では男女平等となり、子供の権利も守られています。しかし、現実には未だ父親が絶対だと考えている人もいます。
洋服や食器を放置してしまうお父さんはそういう憲法(価値観)の下で家の中のモノ・コトを見ているのかもしれません。それが分かったところで現実には何の解決にもならないのですが、このように法学的な見地から収納を俯瞰すると、冷静な判断ができるのではないかと私は考えています。
コメント
自分でやってて思うのですが、収納って設計だし、断捨離って個々人の棚卸しや構造改革だよなあってつくづく思います。
片付けや整理整頓常に追われてるのって主婦ってイメージですが、本当は建築士並みに専門性が高い領域のように感じます。
Akさま
こんにちは^^
そうなんですよね。
断捨離って個々人の棚卸しや構造改革という側面が大きいので、こういう片づけをすれば良いとか、こういう収納グッズを使ったら良いとか、そういう画一的な対策では解決できないことが多々あります。
また、プロとしては建築士というよりはコンサルタントに近い領域が必要になってくると考えています。
たとえば経営コンサルタントの場合、どういう業種で、現在の市場環境や自社の状況なのかを分析したうえで、戦略を立てていくわけじゃないですか。
収納でも、仕事やライフスタイルによって持ち物は変わってくるし、重要度に応じてモノの配置を決めていく必要があります。
そういうことが自分でできる人もいるし、プロの手を借りる人もいます。
名経営者でもコンサルタントを招くことはありますから、収納でもそれが恥ずかしいということはないはずです。
片づけ、整理整頓、掃除も、主婦の領域と思われがちなのは残念ですが、現状としてはそうですよね。
ただ、何事も凡事徹底することが大切だと私は考えています。